大船渡加茂神社五年大祭

京都では、台風の大雨の中、祇園祭前祭りの山鉾巡行が終わった。まだまだこれから、日本中のあちこちで、夏の祭りがおこなわれていく。
東北でも、七夕、ねぶた、ねぷた、竿燈。。と次々と大規模な夏祭りが開かれていくけれど、大感動した今年、5月3日に行われた「大船渡 加茂神社五年祭」のことを今更ながら、
書いておきたいと思った。
3月11日の頃は荒天でJR、BRTを乗り継いでの訪問になったけれど、
5月は雪の心配のない快適な道のりになった。

4年に一度、本来は2011年の5月に開催されるはずだった祭り。また、4年後の2015年がその年だったそうだが、まだ開催されることはなく、1年延びた今年はあると聞き、市役所に問い合わせたところ、実行委員の方を教えてくださり、「手踊りはないんですけれど。。規模も小さいんですけれど。。」と丁寧に申し訳なさそうに電話の向こうの声が答えてくださる。そもそも、これまでの「加茂神社五年祭」がどんなものかもわからない自分には「はぁ。」と間の抜けた受け答えをするしかなくそれでも「行かせていただきたい。」と伝えると喜びを表してくださる。


そもそも、この五年大祭という祭事は、地域によって5年に一度あるいは4年に一度の間隔で開催されるらしい。そして、この加茂神社は4年に一度ということか。震災後に岩手に度々伺うことになり、大船渡にも強いご縁ができた5月にこの祭りを控えた3月11日の東日本大震災の日は、小高い丘の上、階段の先にある加茂神社が避難所になり、眠れぬ夜を明かされたことをのちにうかがった。海の水に浮かんだ屋根を伝って毛布を取りに戻り暖をとったことも、安否を尋ねる人の声が絶えなかったことも。祭りの朝は、大漁旗がはためく晴天。

 大船渡市は、津波で壊滅的な被害を受けた市の一つで、
町内がまるごと被災されたり、散り散りになったりと、参加したくともできない地区も多くあり
祭りの開催には相当の覚悟があったと聞く。
神輿や稚児の行列、山車、手踊り、
そして、地区地区に伝承されてきた民俗芸能が披露される。
その踊りやお囃子を受け継ぐために
子どもの頃から覚えるそうだ。


芸能には大きく分けて
鹿踊り、権現(獅子舞のよう)、曲録(大名行列)、剣舞(仮面をつけ,剣をもつ)がある。
それぞれの地区が地区で守っている。右の写真は高校生の鹿踊り。
上の写真は曲録。
この芸能、祭りや前後の日に、家々の軒を訪ね、門付をする。


祭りの朝、神社では、神輿の担ぎ手たちが
白装束で並び祭殿の奥の神官の声を聴く。
その間、街には、神輿が降りてくるのを待つ人々の群れができている。
この人々の活気と熱気。
これまで、何度となく訪ねた日とはまるで違う。
それでも、本来の祭りは、この数倍は賑やかだったのだ。
神輿や行列が通る道には、ご幣が建てられている。
ただ、街はかさ上げの工事の真っ最中。
道は狭く、記憶にあるかたちでもない。
会場となった新装された魚市場への道には民家はほぼ見えず、工事現場を歩くよう。

 これは、平(たいら)という地区の「七福神」という伝統芸能。飛ぶ、飛ぶ、跳ねる跳ねる!カッコいい!
岡本太郎が「岡本太郎と日本の祭り」で東北の(沖縄のにも)伝統芸能について述べているように
『空間的な舞踊性は日本では珍しい。。。身体全体が浮揚し、なめらかに空間を切り、躍動する。。』

岡本太郎と日本の祭り

岡本太郎と日本の祭り

リズミカルなお囃子の音に、力強くコミカルかつ哀切な語りが素晴らしい。
次々と披露される伝統芸能はどれもこれも素晴らしい。涙出るくらい。
地元の方が、地味な観光客も来ないお祭りなんですよ。。。
とおっしゃってたけど、そんな切り口に驚く。
明るく、きっぱりとして、これまで、どんなふうに継承されてきたかがわかるよう。
そして、震災という流れを断ち切るように見えた出来事があってもつながっている。
そもそも、鎮魂の意味もこの伝統芸能群には込められていたのだという。


 沿岸の防潮堤の工事は形をあらわしてきた。
かさ上げも急速に進み、知らない街があらわれたようときく。
自分は、震災後のこの街しか知らず、震災を経験した方々としかあっていない。
これからもまたそうとしかあれないけれど
この祭りの日にこの場にいられたことは幸せだと思う。また、いただいたものが増えた思いがする。
おっちょこちょいの私は、4年後のこの大祭に、手踊りの踊り手として行列に参加したいと夢見ている。